1.結婚に関する問題
・コリント教会では、性について「性は全く自由だ」という人々と、「性は罪悪だ」と考える双方の立場があり、教会は性についてどう対応すべきかについて、パウロに聞いてきた。パウロは双方の極端な立場を退ける。
−?コリ7:1-2「そちらから書いてよこしたことについて言えば、男は女に触れない方がよい。しかし、みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい」。
・一見すると、パウロは結婚をやむをえないもの、欲望を抑制するための手段と考えているようだが、真意は異なる。結婚により、相手に束縛され、信仰生活がおろそかになる場合が多いことを懸念している。
−?コリ7:32-34「独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います」。
・何が一番大事かを基準に人生を考えよとパウロは言う。結婚するとは、一人で讃美していたものを二人で讃美することであり、子を産むとは、家族で讃美することだ。信者であるあなたの存在で、結婚が神の行為になる。
−?コリ7:12-14「ある信者に信者でない妻がいて、その妻が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼女を離縁してはいけない。また、ある女に信者でない夫がいて、その夫が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼を離縁してはいけない。なぜなら、信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされているからです」。
・一夫多妻が当然の時代の中で、パウロは一夫一婦の尊さを説き、結婚を大事にしなさいと言っている。
−?コリ7:3-5「夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい。妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同じように、夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、妻がそれを持っているのです。互いに相手を拒んではいけません。」
・パウロは救いを禁欲と結び付けない。肉欲を絶つことにより人は救われるのではない。
−?コリ7:7「私としては、皆が私のように独りでいてほしい。しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います」。
2.今ある状態のままでキリスト者たれ
・コリント教会には奴隷も自由人もいた。奴隷の人たちは、何とか奴隷の境遇から抜け出したいと焦燥感を持っていた。パウロはそのような人々に、召された時に奴隷であった人々は奴隷のままでいなさいと勧める。
−?コリ7:20-21「おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい。召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい」。
・何故ならば、キリストによって召された者は、キリストによって自由にされたのだとパウロは言う。
−?コリ7:22「というのは、主によって召された奴隷は、主によって自由の身にされた者だからです。」
・また自由人として召された者は、その時、キリストの奴隷になったのだ。どのような職業生活をおくるかは、救いに関係がない。むしろ、どのような信仰生活をおくるかに、心を向けなさい。
−?コリ7:22-24「主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです。あなたがたは、身代金を払って買い取られたのです。・・・兄弟たち、おのおの召されたときの身分のまま、神の前にとどまっていなさい」。
・終わりの時は近づいている。その時、どのような職業につこうが、どのような家庭を形成しようが、本質的な問題ではない。最も大事なことは、あなたがキリストに属していることではないか。
−?コリ7:29-31「定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです」。
・キリストに仕えることが大事であって、そのためには現在のままで、為すべきことを為しなさい。
−コロサイ3:18-24「妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない。・・・ 奴隷たち、どんなことについても肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとしてうわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです」。